2010-12-27

世界の最初と最後、世界の最小と最大

世界の最初と最後、世界の最小と最大、人間は自由か?、神の有無 というのは決して答えられないと、
カントが「証明」したことでした。


そしてイームズのこの映像を見たときは、まさに衝撃でした。

宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅 『POWERS OF TEN』

2010-12-24

ウソをついていい日


ウソをついていい日といえばエイプリルフールですが、クリスマスのサンタクロースはどうでしょうか?

横峯さくらのおじさんである横峯吉文が出ているテレビ番組で
「サンタクロースを信じている人?」

たくさんの園児が手を挙げた瞬間、
「はい、いません。」
と断言・・・。
現実を教えることはとてもいいことなのですが・・・(笑)

ウソは明らかに良くない!!と誰もがわかっているのに
みんなはなぜサンタの存在を伝えていくのでしょうか?


多分、世の中にはついていいウソもあるという一つのイベントなのではないのでしょうか。

以前にブログに書いた村上春樹さんのスピーチを思い出しました。

小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。


ウソは人間の本能の一つなのでしょう、ただその本能の活かし方が素敵なのがクリスマス。
嬉しいサプライズにはウソが必要不可欠なのですね。




メリークリスマス!!!!

2010-12-15

太陽がないときには、それを創造することが芸術家の役割である。



太陽がないときには、それを創造することが芸術家の役割である。 --ロマン・ロラン

2010-12-12

平和になるために考える



One Love


平和になるために考えてみる、今回は平和の確率。

「平和である確率の低さ」と「平和であって欲しいと思う人の確率の高さ」。
この矛盾する二つの数字を常に併せ持っておくことが大事なのだと思う。


「平和である確率の低さ」
戦争は国同士の喧嘩である。 片方が平和を願っていても、片方が望まなければ戦争は起こってしまう。両方が平和を願ったときに初めて平和は訪れる。そうすると、安直ではあるが二者間での平和の確率は1/4。(囚人のジレンマ)国の数が300もありませんが(210くらい?)仮に200としても
1/4の200乗と考えられる。0.25の200条なので、限りなく0に近くなる。

「平和であって欲しいと思う人の確率の高さ」
平和であって欲しいと思う人はロールズの正義論で出てくる『無知のヴェール』的に考えればかなり確立の高いであろう。

無知のヴェール:もしみんながまったく白紙の状態でこの社会を営むとして、つまりその先どういう位置に立つか誰も分からないとして、どういうルールを初めに設定すれば「公正」なルールとして認められるかという仮説的な想定をした。


この矛盾を受け入れると、少しの余裕が生まれ。
思いやりができるのんではないのだろうか。



アリストテレス が言っていた 
「革命は些細なことではない。しかし、些細なことから起こる。」

2010-11-30

おまえの信じる夢がかなうかどうかは分からないものだ。 しかし、信じない夢がかなう事はない。





おまえの信じる夢がかなうかどうかは分からないものだ。 しかし、信じない夢がかなう事はない。Charo、信じ続けるのだ。 by ナムタカ

2010-11-15

金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う


金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う。by チャーチル

2010-10-30

人生が自分に配ったカードは、ただ受け入れるしかない。しかし、手元に来たカードの使い方を決め、勝機をつかむのは自分自身である



人生が自分に配ったカードは、ただ受け入れるしかない。しかし、手元に来たカードの使い方を決め、勝機をつかむのは自分自身である。 (by ヴォルテール)

2010-10-15

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く。



太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く。 by フリードリヒ・フォン・シラー

2010-10-09

あなたのその温かい言葉がその人にとって一生の宝物になることがある。




あなたのその温かい言葉がその人にとって一生の宝物になることがある。

2010-10-06

寿命: 約15億回の鼓動




心拍時計でいくと
ねずみもゾウも人間も
哺乳類の寿命は一緒という。 
約15億回の鼓動。


心臓、呼吸、時間、寿命、全てが小さいものが速く、大きいものがゆっくり進む。
ということは、小さいものが早く死んで、大きいものが長く生きる。




だから子供の頃、時間が長く感じ、
大人になって、時間が早く過ぎると感じるのは
当たり前だったんだな~。


僕にとって新たな時間を計る尺度。 時を感じる『時感』




約15億回の鼓動 
about 15 billion beat

2010-10-02

ガンジーの言葉  10/2がガンジーの誕生日



ガンジーの好きな言葉。

『私はヒンズー教徒として本能的に全ての宗教が多かれ少なかれ真実であると思う。
全ての宗教は同じ神から発している。 しかし、どの宗教も不完全である。
なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。
さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集まり通じるさまざまな道である。
同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか。
又、どのような思想や行動をとっても、必ず反対をする人々がいる。
忘れてはいけない、彼らも正義なのである! 』

モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, デーヴァナーガリー: मोहनदास करमचन्द गांधी, グジャラート語: મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી, / 1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー:Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、弁護士、宗教家、政治指導者。
そして、ヒンズー教の人間に暗殺されてしまうのだが・・・、




どの宗教も不完全である。
なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。



新興宗教も含めどの宗教も結構いいことを説く。
当たり前といえば当たり前のことなのだが、でなければ信者が増えないし。
問題はいいことは言うが、運営者が金や権力の欲にまみれているケースがあるということだ。
そして、その欲のために宗教の真理が絶対であるケースが多いところが問題なのだと思う。

完全な人間ではないから、完全である神がつくられたのであって。
完全な人間であるのなら、神が不必要になる。
そして不完全な人間によって伝えられた宗教は、
「この真理は絶対なので疑ってはいけない。」という絶対真理になってしまったのだ。



どのような思想や行動をとっても、必ず反対をする人々がいる。
忘れてはいけない、彼らも正義なのである。


この言葉、常に胸に刻みたい言葉です。
自然には法則があります。 
ただ絶対ではない。相対なのである。







2010-09-23

太陽と月との距離

太陽と地球、 月と地球との距離。

いつも見ていて、恩恵を受けている
太陽と月だから 距離ぐらいは知っておきたい。






地球から太陽までの距離は、約1億5千万kmです。
光の速さで8分20秒かかります。








地球から月までの距離は、約38万4千kmです。
光の速さは、2秒はかかりません。

ルドルフ・シュタイナー


ルドルフ・シュタイナーの「社会三層論」がおもしろい。

『社会』を精神生活(文化)、法生活(政治)、経済生活の三つの機能に分け、
「文化では自由」、「法では平等」、「経済では友愛」が基本原理であるべきだと考えた。
この三つの領域が基本原理に基づいて機能し、相互にバランスをとりながら関連づけられていく社会が健全だと考えたのである。
社会が抱える大きな問題は、本来、異なる次元にあるこの三つが一緒にされ、別のレベルの理想が混乱して語られることが原因だという。

すばらしいのは経済活動を競争ではなく友愛という原理を根本にすべきというという点。

つまり、自分の為だけでなく他人の為に仕事をした方が社会全体の益になるという考えである。
しかし、現在の経済学では自由な市場での競争こそが経済の大前提だとされ、そこでもたらされたものは、
未来の世界に分配されるべき資源を使い、環境を悪化させ、国債という形で子孫への借金を作ってしまったのが現実である。

では人間の本能である競争原理とはどう付き合うのか?

僕の考えでは、今こそ「文化」を強化すべきだと思います。
「政治」・「経済」・「文化」 それぞれにおいてどうしても競争原理は働いてしまう。
そして「政治」での競争原理から『戦争』が生み出されてきた。
またそれを無くすために、先人たちは競争の場を「経済」に移し『資本主義』が生まれた。
そしてまたそのせいで貧富の格差、資源の枯渇などの現在問題が出てきてしまった。

現代は「政治」・「経済」に比べて「文化」が弱いのではないのかと思う。
そして今の「文化」は「経済」に飲み込まれている。

「文化」が発展するときは平和なときであるし、今こそ強化すべきときである。

特にスポーツは、古代に戦争をなくすために生まれたと聞いたことがある。
真偽はわからないが、競争原理から生まれたのは間違いない。

「文化」を「政治」・「経済」と同じように機能させることが、今の僕の使命だと思っている。


ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

1900年から、目に見える物質世界の背後に、同様な客観性をもった精神世界があるという、全ての人種、民族、宗教、国籍、性別、階級、信念などから独立しているアントロポゾフィー(人智学)について語るようになった。
人類史上初めての世界的戦争である第一次世界大戦後の最中にあって戦争を初めとした社会問題の解決策として、「社会有機体三層化運動」を提唱した。

シュタイナーはまた農業でも有機農業のような地球次元だけでなく、天体の動きなど宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって、種まきや収穫などを行うという自然と調和した農業、「バイオダイナミック農法」(ビオダイナミック、ビオディナミとも、BIO-DYNAMIC)を提唱した。

「歴史は学ぶより、作るべきだ。」


「歴史は学ぶより、作るべきだ。」 映画アストロノーツ・ファーマーの名言 

2010-09-15

NASAが宇宙空間に向けて発信したメッセージ





NASAが1977年に打ち上げたボイジャー1号およびボイジャー2号には、地球からのメッセージを収めたゴールデンレコードが搭載されていて、世界の55の言語での挨拶や、地球のことを紹介する自然現象や動物の音声、各民族や文化を代表する音楽などが収録されているらしい。

上記動画では挨拶部分しか無いようだが、ボイジャー1号はすでに地球から170億km以上も離れた宇宙空間を飛び続けているそうです。

本気でこういうことしている感じ、大好きです!!

2010-09-14

旅本 『モモ』 (Momo)

いつの時代も『旅人』が様々な国を渡り歩き、世界を変えてきました。
そしてその『旅人』も様々な『本』に出会い変わってきました。

そんな人を変え、世界を変え、未来を創る『本』を『旅本』といいます。

「本が人を旅する。」 その旅を少しでも応援できるように、『旅本』を紹介していきます。




第一弾の『モモ』 (Momo) です。

1973年発表のドイツの作家ミヒャエル・エンデ(Michael Ende, 1929年11月12日 - 1995年8月28日)による児童文学です。


時間とお金に対する考え方を見直させる1本。

あらすじ
ある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれ、
みんなが心に余裕が無くなってしまった中で、貧しいけれど友人の話に耳を傾け、
自分自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女、モモの冒険によって、
奪われた時間を取り戻すというストーリー。

忙しく生きることで本質を忘れてしまった人々に対する、警告的な意味合いも強いのですが、この物語のキーワードの「時間」を「お金」に置き換えると、現代の経済が「利子が利子を生むシステム」であることに気づかされます。

のちに発行された『エンデの遺言』という書籍にエンデが考える経済システムについて記載されています。

『エンデの遺言』についてはまた後日。


追伸

『忙しい』という漢字は『心を亡くす』と書きます。 気をつけましょう!!

2010-09-11

インディアンの教え






インディアンの教えです。 

あなたが生まれたとき 
あなたは泣いて 
周りは笑っていたでしょう 
だからあなたが死ぬときは周りは泣いて 
あなたは笑っているような人生を歩みなさい。 





息子が出来て沁みたコトバです。



あとナホバ族の格言、
『素晴らしい夢を見て それを行動に移せ』

素敵な言葉です。

2010-09-09

白洲次郎

しらす じろう 明治35年(1902年)2月17日 - 昭和60年(1985年)11月28日)

日本の実業家。終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆 家の白洲正子。

イギリス仕込みの流暢な英語力、185cmの長身、日本で最初にジーンズをはいたダンディーな男。

昭和20年(1945年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田茂の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。ここから、白洲次郎の連合国軍最高司令官総司令 部(GHQ)を向こうに回した戦いの火蓋が切られる。

主張すべきところは頑強に主張し、GHQ某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。

昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する 。
この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ、英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に 入れさせた。

吉田退陣後は、政界入りを望む声もあったが政治から縁を切り、実業界に戻る。



「私は、"戦後"というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在 声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっている とは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて"戦後 "は終わったと自己満足してもよかろう」
カテゴリ:














人類消滅シミュレーション

人類消滅シミュレーション

相対性理論

相対性理論をすごく分かりやすく5分で解説。

2010-07-09

成功は幸せの鍵ではありません。 幸せが成功の鍵です。もし自分のしていることが大好きなら、 あなたは成功するのです。 



成功は幸せの鍵ではありません。 幸せが成功の鍵です。もし自分のしていることが大好きなら、 あなたは成功するのです。 (by アルバート・シュバイツァー)

2010-07-07

村上春樹スピーチ


村上春樹エルサレム賞スピーチ

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。

もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。もちろん、私の本がボイコットされるのは見たくはありません。

しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。

「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。

2010-05-29

スティーブ ジョブスのスピーチ

米国スタンフォード大学卒業式でのスティーブ ジョブスの祝賀スピーチ




ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。



こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。




リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。




2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。




3つ目は、死に関するお話です。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。




今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。




私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。
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